「才能ないんだから、あきらめろよ」
ちょっと蔑むような視線と、半笑い。
小馬鹿にし、見下し、優位を感じたい者たちが吐きかける毒。
絶好調の時は、そんな言葉も心に刺さらない。冒されない。
でも、ちょっと不安だったり、心配が続いているときだったり、ちょっとナイーブになってる時、そんな冷たい、悪意に満ちた視線や言葉は、刺さる。
じわじわ毒がまわるみたいに、力が奪われていく。
まったく、いやな状態である。
冷静に考えてみれば、
『おまえに何がわかる?』
だ。
『おまえは人のやる気や熱意や情熱や夢をコケにするほど、たいした存在なのか?』
だ。
だから、愛のない批判や言葉に、耳を貸す必要も、心を汚される必要も、ない。
その言葉や態度に力を与えているのは、結局は自分なのだから。
だったら、やる気と情熱と夢とに満ち満ちたメッセージを心に響かせたほうがよい。
感動に涙流し、心震わせ、もう一度、やってみたいことをやりたいようにやればよい。
そんなことを、" あひるの空 " を読みながら考えた。
「面白いよ」
と聞いていた。
リアルタイムで読んでいた世代である。
ゆえに、「バスケ漫画の金字塔をもう知っている」という錯覚に陥っていた。
愚かな錯覚であった。
マイケル・ジョーダンの活躍していたあの頃だけを知り、バスケの最高の世界を知っていると勘違いしているような愚かな錯覚であった。
なにげなく1巻を手に取り、気づけば29巻まで一気に読んでいた。
貪るように、次、次、と漫画を読むなんて、久しぶりだった。
至福の時であった。
笑い、泣き、ときめき、心を揺さぶられっぱなしであった。
何巻だったか、『これはギャグマンガですから』というような作者の言葉があったが、登場人物たちのひたむきさ、真剣さに、物語はどんどん純粋にひたむきに真剣に心震わせるものとなってゆく。
高校時代なんて、もう昔のことで、遠く遠く、部活なんてやりたいとも考えていなかったが、部活がやりたくなってしまって困る。
そして、『ズートピア』を観る。
動物たちが仲良く暮らす、ズートピア。
『なりたいものには何でもなれる』
という楽園、ズートピア。
それでもウサギの彼女は『警察官になりたい』という夢を止められ、笑われ、「そんなの無理だからやめとけよ」の視線にさらされる。
それは草食動物のする仕事ではないから。
いまだそんな前例はないから。
夢の挫折、失敗、楽園の闇まで描いたうえで、
自分の信じた道をゆくことを、あきらめないということを打ち出しているというのだから、唸る。
吹き替えの上戸彩も素敵だ。
そして、" YAMABIKO " を聴く。
2015年発表で、もうすぐ100万回再生になろうとしている。
その声、その言葉、真摯に、ひたむきに生きる力に満ち溢れている。
己の頂上を目指せばよい、と力が湧き出す。
そして、最後に、耳を傾ける。
「えっと、この人は、いったい何者なのかな……」
『できそうな夢しか見ちゃいけないの?』
はい、もう、復活。
さあ、春。
何をしようかな。