その7 魔界水滸伝が好きだ。
栗本薫さん逝去。
そのことを知ったのは、ふと立ち寄った本屋のポップでだった。
確か、『グイン・サーガ』の最新刊が積まれていたように思う。
えっ。
と、一瞬、呆然としてしまった。
そんなわけあるかい。
と、目を疑った。
だってまだ『グイン』は完結してない!
あの、小説を愛し、小説に愛された人が、あれを完結させずにこの世を去るなんてこと、あるはずがない!
身勝手と思うこともなく、ごく普通に、そんなはずはない!ありえない!と信じられなかった。
僕は『魔界水滸伝』という本を読み、『栗本薫』という作家がいることを知った。
ヴィジュアルは、『デビルマン』の永井豪が担当していた。(上記の画像は角川文庫版。発売はノベルス版が先)
読んで、読んで、読みまわされて、擦り切れた、図書館の本らしい佇まいがまた、その本を僕にとって特別なものにした。
クトゥルー神話の怪物たち。
日出づる神の国、日本の妖怪たち。
超常能力を覚醒させた人間たち。
設定がとても似ている。
得体の知れぬ『悪』『魔』と、それに対抗する異能力者たち。妖怪たち。世界どころか、地球そのものを巡る、人類未曾有の危機。
まさに『デビルマン』の世界だ。
だが、この小説が凄いのは、おそらく勿論デビルマンの影響も大きかったろうが、そのスケール、志、設定にインスパイアされながらも、
まったく違う『もうひとつの世界』を完璧に創りあげている
ところにある。
見知った世界が、徐々に壊れ、崩れてゆき、やがて誰も見たことのない世界が現れてゆく。
人間たちすら、その世界に対応すべく姿かたちを変えてゆく。
小説以外では表現できない世界が、そこにはある。
人類の存亡を賭けた戦い。
そして、恋。
栗本薫作品の好き嫌いは、その恋情に惑い惑わされる人間たちの業を、実人生で受け入れているかいないか、で別れるのではないかと思う。
彼らは、恋をする。
人ならぬ身であろうが、人ならぬ身に変わり果ててゆこうが、彼らは『人間』であるがゆえに恋をする。
それが、せつない。
人類未曾有の危機に、人間は一致団結すらしない。できない。
異界の魔物たちに対することのできる、頼みの綱、妖怪たちもまた、そう簡単に手を結ぶことができない。
この世界と同じだ。
そんな世界でありながら?
そんな世界であるからこそ?
彼らはその生の、心臓のど真ん中に、恋の火を灯す。
第一部は世界が崩壊していくまでを。
第二部は世界が様変わりしてからのことを。
ページをめくる手が止まらない。
そこに描かれているのは、絵空事でありながら、真実。
克明な事実であるからだ。
読まずにはいられない。
『グイン・サーガ』と同じくして、『魔界水滸伝』もまた、第三部に突入し、さらに世界を広げたところで未完となっている。
だから、読んでも宙ぶらりんのまま。
だから、読まなくてもいいか。
おすすめするべきでもないか。
とは、まったく思わない。
是非とも読んでいただきたいと願う。
仮に第一部で終わっていたとしても、読むべき傑作であったことは間違いない。
迫り来る危機と、足掻く人間たち。
その気高さ。意地。
濃密に描かれた異形の恐怖。おどろおどろしさ。
みずみずしく、清冽な恋。
捻じ曲がった、屈折した、バケモノの恋。
『魔界水滸伝』には、『業』が描かれている。
人間とは?
愛とは?
を、描いたものを文学と呼ぶというのなら。
『魔界水滸伝』は紛れもない、一級の文学作品である。
(こちらは、ハルキ・ホラー文庫版)
『グイン』のこと、『中島梓』名義でのこと、についてはまた次回に。
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