読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

SOUL EAT!!!

歓び跳ねる、踊り狂う、炸裂する虹、そのかけらを一灯

『求めているのは、稲妻のような、強烈な一撃!!      岡本太郎の前に立つことは 』

未分類 小説 / 本

 

『一発お願いします!』

と、平手打ちを求めて、若い男子が頭を下げる。

 

闘う魂の注入の儀式は、遠目で引いて見ていると、やっぱりちょっと滑稽に見えるし、叩かれる方もどこか、イベントの一環だから並んどけ、と実は『気合い』なんて入れて欲しくないことが丸わかりであったりして、やっぱりちょっと醒めた目をしてしまう。

そんな人が多いんじゃないだろうか。

 

でも、あれは、本来、人に見せるものではない。

 

一対一の場面において、効果を持つ、確かな『儀式』であるからだ。

 

ひっぱたく、ひっぱたかれる。

あれは、コミュニケーションだ。『師』から『弟子』へ。

そこに『信頼』と『尊敬』と、『あなたのようになりたい』と『崇拝』の念がなければ、無論、成立しないコミュニケーションだ。

 

『信じる』『強き者』からの、『愛』

 

暴力ではない。

痛みを求めているのではない。

求めているのは、熱だ。

そして、余分なものを剥ぎ取るだけの、勢いだ。

 

岡本太郎の作品の前に立つということは、ひっぱたかれるために行くことだ。

 

揺らいだ軸をまっすぐにするために。

いらない弱さを振り払うために。

灰汁のように湧いてくる現世の垢を落とすために。

 

岡本太郎の前に立つことは、禊の儀式にも似ている。

生命の爆発。歓喜。

岡本太郎は、人間の誇りをカタチにし続けた人だ。

理想的にすぎる理念を『可能だ』と言い張り、実現し続け、証明してしまった人だ。

人は岡本太郎を『神』と崇めるだろう。

人智を超えた存在は、もはや『神』と名づけるよりほかにない。

『あの御方は特別な、天命を受けた、特別な、特別な、高貴な、選ばれた御方なのだ』

岡本太郎はそんな賛辞を受け付けない。

『ただの人間』

謙虚でもなく、好かれようと欲することもなく、達観して見せることもなく、その偉業を、

人間である限り、誰にでも可能なこと

と体現して見せ続けた。

 

岡本太郎の前に立つことは、神前に立ち、礼拝するような気分をも、もたらす。

描かれている生命の爆発、歓喜。それは『モチーフ』ではないからだ。『テーマ』ではないからだ。

生命とはかくあるもの

と提示された、『己』であるからだ。

『鏡』を『最奥の神』とする神道にも通ずる、神々しさ。

だが、そこに、岡本太郎は、『神』を表現などしていない。

『それが人間だ』

と、剥き出しの、裸の、人間の、ただひとりの人間の姿で立つ。

『神』にひれ伏すことで得る安息を拒む、苛烈さを放ち。

 

岡本太郎の前で、人は裸にならざるを得ない。

堂々と、屹立する、誇り高き、裸の『人間』を前にして、どう反応したらよいだろう?

取り繕ったあれこれ、すべてをひっぱがし、真っ向からその眼を見つめるよりほかにない。

そこでの『対等な関係』をこそ、岡本太郎は真に求めたのではないだろうか。

 

『未熟であってもいい。未熟であるからこそ、いい』

 

それは、なんという優しさなのだろう。

 

それだけの激しさを持ち、傷つきながらも、立ち続ける巨人。

放たれる愛。

……と、またついつい『神』と見上げてしまいそうになるところを、また突っぱねられる。

目線は同じ高さにある。

 

『同じ人間』

『君は何者か』

 

岡本太郎の前に立つことは、

 

揺らいだ軸をまっすぐにする。

いらない弱さを振り払う。

灰汁のように湧いてくる現世の垢を落とす。

 

ひとりの人間として、生をまっとうするためにある。 

歓喜 (Art & words)

 広大にして、膨大、豊穣な岡本太郎世界の入り口として、最適かと。

巻末、敏子さんのあとがきにも、胸を打たれる。

 

ブログ開設の解説 その6 『岡本太郎がそこにいた』 - SOUL EAT!!!