『彼氏を、彼女を、ふつうに愛したい。と言うのなら』
今、このタイミングで、この時期にヒットする。
それも、口コミで広がり続け、爆発的にヒットする。
そんな作品。
なぜ、そこまで。
いかがわしい、公序良俗に反する、表舞台には出てこない、出てこれない、そんな世界だからこそできた表現。
それを『映画』にしてしまったのは、ひとえに監督の力だろう。
センチメンタルで、カッコよくて、ばかばかしくて。
下衆であると、『くだらない』と、一蹴されても仕方のない企画が、加工されることのない『実状』を浮き彫りにしてしまっていること。それがとてつもなくおもしろいということ。
だが、それだけでは『映画』ではなかったろう。
『ドキュメント』の要素も素晴らしい、好事家の間で名作と謳われる『よい作品』であったろう。(前作がそうだった)
それが、何故この2013年バージョンが、今、ヒットしたのか、熱量渦巻く盛り上がりを見せているのか。
それは、セキララな、本当に皆が知りたいと思っていること、感じていることを現していたからか。
それもあるだろう。
だが、あれを観た人たちが、
『すごい…!』
と驚嘆したのは、やはり、そこに、心が描かれていたからではなかったか。
心をぐっとつかまれる瞬間が、
作り物でない、人間の、ささやかな心が、
収められていたからではなかったか。
下衆で、いかがわしい、くだらない、バカ騒ぎ。
『ちょっとH』どころでない、リアルな性。
欲望を喚起するために作られた作品ではない。
心を描くために作られた作品、『映画』、だ。
観終わったあとの爽快感、あるいは涙。
元より映像センスでは業界異端のかっこよさを放っていた監督の、『俺たちの世界』を世に媚びることもなく、てらうこともなく作り上げた手腕には、ただ一言。
『すげえ…!』
普段、その世界に興味がない人たちにまで、その熱を届けた映画、
『テレクラキャノンボール 2013』
あの映画を『ふつう』に『よかった』と言える時代に、『希望』のような、『勇気』のような力が湧く。