『漢字とか読めないだろうから、絵本にしたよ』
そう言って、一生ものの大切な本を贈ってくれた人がいる。
二十歳になるか、ならないかの頃である。
その頃、僕は、深い失恋の痛手から立ち直ることができずにいる、ロックンロールバンドに目覚めたミュージシャンもどき大学生であった。
すだれのような長い前髪と、『なんもかんもくだらねえよ』と斜に構えた言動。
好きな音楽といえば、暗くて、ざらついていて、激しいもの。
『女』について、たいした経験もないくせに、『女落とすなんて簡単だよ』『つまんねえ』と嘯きかねない雰囲気すら、かもし出していた。
まったく。塗りつぶして燃やしてしまいたくなる過去である。
夢中になった挙句の急転直下。
はじめての恋に驚き、感動し、ときめき、『人生ってなんて素晴らしいんだろう!』と小躍りした日々は、期間にしてわずか3ヶ月。
まさかの喪失に、地の底を這いつくばるような日々が続いたのは、その後2年以上である。
まったく。しゃんとしろよ、しゃん、と。
後ろから背骨を蹴りつけて正してやりたい過去である。
当時、僕は、気軽に大人たちが立ち寄れる、バーのようなところで、アルバイトをしていた。
鼻の下まで伸びた前髪は、かろうじて、『染めてるわけじゃないし、まあ許そう』と温情を受けていた。
( 当時の社員の方々に感謝を。その頃は、もう、バカ真っ盛り。たったそれだけのことだが、クビにならないよう、守ってもらっていたのだ。それに気づくのも、店がなくなって、もうあの頃のみんなとは疎遠になってからである。もう、なんていうか…バカ… )
『俺はおまえらとは違う』
青い自意識。
みんなといるのが好きなくせに、ひとりはずれてアウトローを気取り。
『自分の納得することしかしたくない』
一本気ともいえるが、軸は細くて、ぶれにぶれる。
傷つかないように、引けた腰で、愛されようと切望しながら、『女なんて、余裕』
当然のことながら、そんな男子はまっすぐな恋の対象にもならず。
『学歴なんて意味ねえよ』
学生の身分を享受しながらも、ろくに通うこともなく、音楽活動に精を出している風を装い、
根は真面目なもんだから、仕事はきっちりやる。
結局はその部分で、僕はアルバイト先に評価され、ポジションを得、居場所を与えてもらっていた。
すかした風情の、何の誇れる実績も持たない若造。
それでも、『若い』ということで許され、愛されもした幸運。
ある日、そのバイト先の『姉貴分』が、結婚することになった。
バイト同士の出会い。そして結婚。
僕らは祝福した。
相手の男性も、豪快な、面倒見のよい先輩で、皆から慕われる素敵な人だった。
「これ。最後だから、あげるね」
最終日、彼女がくれた本。
祝福を受ける側の、みんなから祝われて、たくさんの花束やメッセージや贈り物を受ける側の彼女が、逆に、僕に、一冊の本をプレゼントしてくれた。
『漢字とか読めないでしょ? だから、絵本にしといた』
失礼極まりない言葉とともに、贈ってくれた本のこと。
きちんと礼を言うチャンスを逃してしまった。
あれから10年以上たって、やっと、見ていてくれた、気にかけてくれていたということが、わかる。
『ねえ。そのまんまでいいの?』
『そんな風にしてていいの?』
言葉で面と向かって言われていたら、きっと反発していただろう。
『姉』に甘える『弟』になって、『うるせえな! 俺の何がわかんだよ!』である。
それも見越して、最後に、本を。
『後輩』に送るメッセージを。
きちんと礼を伝えることができなかった。
でも、もし、また会うことができたなら、言いたいせりふがひとつある。
『転がってますよ』
『それならよかった』と彼女はきっと笑ってくれるだろう。
『物語』を愛するひとへ。
贈り物にも最適!