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ぐるぐる回る 風の時代がやってくる

『そして生まれた新しい主人公  “ スモーキン・ビリー ”   ミッシェル・ガン・エレファントという奇跡について語る  その12 』

 

それが『リリィ』、『ルーシー』に続く『人格もの』の系譜に連なるものなのか、定かではないのだが、

『スモーキン・ビリー』

という『名前』、『キャラクター』の曲。

と捉えてみる。

(『ビリー』=『棍棒』で、『ヘビースモーカーの棍棒』みたいな曲。と捉えてみても屈指の名曲だと思うのだが。『スモーキン・ビリー』、まさに鈍器の一撃のようだ)

 

 『G.W.D』『アウト・ブルーズ』、そして『スモーキン・ビリー』

3曲続けて聴くと、この時代のミッシェルのモードがよくわかる。

初期の頃にあった、うんざりした末のなげやり感は、もはや跡形もない。

うんざりして、なげやりになって、それでも熱を撒き散らして、手に入れたのは、明確な意志と、『武器』、あるいは『凶器』。

 

時代の風がどうだろうが、

流行りの風がどうだろうが、

構わず蹴散らす、なぎ倒す。

『わかってくれ』なんてこれっぽっちも思っていない。

 

『わからせてやるよ』

 

捨て鉢にもならず、見下しもせず、

 ただただ『最高のロックンロール』をやる。

 

しらけたムードや嘲笑、ポーズ、『くだらなさ』がはびこる世界。

そんなもんも全部ぶちこんで、燃やして、がなって、突き進む。

 

まるで、力と気概で列島を制覇してゆかんとするヤクザの新興勢力のような、その精神。その殺気。

 

そして生まれた新しい主人公、『スモーキン・ビリー』

 

ロックンロールの本質は歌詞ではない。

腰から背骨、背骨から腰、どちらでもよいのだが、駆け巡る、揺り動かす、エネルギーがあるかどうかだ。

頭や耳で『理解』するものではない。

 

だが、では、歌詞なんてどうでもいいし、曲名なんてどうでもいいか。

というと、本当のところ、どうだっていい。

 

いいか悪いかは、身体が反応するのだから。

何といっても、音、ありきなのだから。

 

だが、では、曲名なんてなくていいし、#1とか#2とか、歌詞は意味不明の言語で構わないか。

というと、別にそれだって構わない。

 

だが、ロックンロールのバンドとして、ミッシェルが奇跡的存在であり、歴史に残らざるを得ない弩級のバンドである理由のひとつには、『言葉』『ヴィジョン』の鮮やかさがある。

 

その曲、そのモード、を現すに最もふさわしい言葉を与える。名前を与える。

そのことによって、曲は命を宿し、世界に居場所を見出す。

 

ミッシェル・ガン・エレファントというバンドは、自分たちの想いやメッセージを伝えるバンドではなかった。

根の深い音楽的ルーツを持ち、愛しながらもそこに淫するバンドでもなかった。

新しいヴィジョンを、言葉を見つけ、音楽にして放ち続けたバンドだった。

 

ヴィジョンが先か、言葉が先か、音が先か。

それは作り手すら超えた『何か』、どこかに実在する『何か』の一部であり、

音楽と言葉とヴィジョンと、どれが欠けても不完全なものになってしまう。

 

断言してしまうが、ミッシェルの曲は、どれもが完璧だ。

好き嫌いはあろうが、『それ』を表すにふさわしい『名』と『体』を持った『生き物』として成立している。

 

かの有名な、

“ 愛と!いう!憎悪!! ”

一瞬のブレイクのあと、吐き出されるあのフレーズ。

あの瞬間の、あの感覚を、なんと名付けよう。

あれをロックンロールと呼ばずして、何と言えばよいのか。

 

 

 

 

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『 目指すはいまだ見ぬ地! “ アウト・ブルーズ ” ミッシェル・ガン・エレファントという奇跡 その11 』 - SOUL EAT!!!

 

 

スモーキン・ビリー