SOUL EAT!!!

歓び跳ねる、踊り狂う、炸裂する虹、そのかけらを一灯

灯る一燈 神のはからい “ 賛 ” に震える『サマーウォーズ』

 

批判と嘲笑が渦を巻く。

とぐろを巻いて、絞めつける。

 

生きていくのがつらいのは、息苦しいのは、

病を生み、心を荒ませ、

だんだんと俯き、日陰を居場所と湿るのは、

『誰も信じられない』と心を閉ざしてしまうからだ。

 

 

今から10年くらい前、『時代が変わったんだ』と感じた事件がある。ごく身近な話である。

 

飲食業に携わっていた頃のこと。僕は店のアルバイト元締めのようなポジションにいた。本格的な料理を出す、ちょっと価格設定の高い、雰囲気のよい、和風の落ち着いた店だった。

 

飲食業ではよくあることだが、『ホール』と『調理場』、『店長』と『料理長』は『どちらが偉いのか』ということで、派閥ができる。力関係がはっきりとする。表向きはうまくやっていても、『あいつはだめだ』とどちらも陰で言い合っていたりする。

 

店の『経営』を考える店長と、店の『商品』『クオリティ』にこだわる料理長。

ともに歩み寄って、『お客さん』のために何ができるか。と方向性を同じくしたときには、幸運のスパイラルというか、働いている者は充実するし、お客さんは喜ぶし、売り上げはあがるし、少々のトラブルなどに左右されない、流れができる。

 

『アルバイト』は所詮、アルバイト。当たり前のことだが、仕事に命なんて賭けていない。だから、早々に、『どちら側』につくか決めざるを得ない。そういうの、面倒くさいんで、という子には、無論、仕事は回ってこない。だから早々にやめていく。1ヶ月もしたころには、雇った側も覚えてはいない。その子も少々のお金を手に入れただけで、+アルファの『仕事の経験でしか得られない学び』がないから、結果、ただの『職歴その1』でしかない。

店の内部は分裂し、働く子たちは上の顔色を伺い、マニュアルどおりの接客と作り笑顔で『お客様へのおもてなし10か条』を暗唱させられたりしている、そんな店。

誰が働きたいか。

客として来たいか。

まったくの正論。だが、その真逆の『よい店』を作るためにはどうしたらよいか。難しいことなのか。というと、それほど実は難しくない。『プロ』である必要もそんなにない。

『サービスの店なんだから、それにふさわしいことしようぜ』

と、従業員一丸、文字通りひとつの玉になってしまえばいい。

だがそれは何故なかなか実現しないのか、一言でいうと、

面倒くさいからだ。

 

当時、勤めていた店は、そんなあれこれも熟知した店長と料理長が互いを認めつつ、敬意を払いつつ、バイトも『店の人間』と円になれる、よい店だった。

売り上げもよかったし、常連客もたくさんいた。

気張ることなく、『いい接客しよう』『美味くて、美しい料理を出そう』が、当たり前のこととして行き渡っていた。

と、見えた。

 

幸運のスパイラル。

毎日いろいろあることはあるが、そこを訪れるもの誰もが充実する。

 

そう見えて。

 

影で渦巻く悪意があった。

批判と嘲笑。

毒に満ちた、仲間を増やそうと目論む、ウィルスのような誹謗と中傷の悪意が跳梁していた。

 

店の人間としか思えない情報の流出。

従業員を名指しにし、あげつらい、笑いものにする言葉。デマ。

 

当時、流行っていた携帯ツールを使って、悪意をばらまく者がいた。

 

犯人はすぐわかった。だが、『なぜ?』がわからなかった。

よい店を作る方法は簡単。だがその実行と継続は困難。

そう共通の理解がある。と思ってしまったのが、甘さだった。

バイトの彼女にとっては、都合のよいアルバイト先、でしかなかった。

 

その影の作業の首謀者が何者なのか、憶測から確信へと変わったとき、すっと、本当に、すっと、彼女は消えた。

身内の不幸だったか、学校のなんだかだったか、『今日休ませてください』の連絡のあと、消息を絶った。

すごい勘であった。

 

批判や嘲笑。

誹謗や中傷。

 

誰かをあげつらい、笑い、貶める。

見えないところで撃つ、謗る。

 

人間の中には、確信を持って、見えないところから弱者をいたぶろうとする『悪意』がある。

『善人』か『悪人』か、ではなく、『人間』の中に『悪意』という要素がある。それはわかる。つい引き金を引いてしまう、周りに流されて、も理解できる。

 

だが、『身内』がこんなやり方で、裏をかいてくるとは、10年ほど前の僕たちは想像もしておらず、糾弾するよりも、戦慄したのだ。

 

19、20歳の、衣食住にも困らず、学生の身分を謳歌しているであろうひとりの女の子が、

待遇もよく、こんなバイト先なかなかないよ、な適度に働いて金を得るには文句もなかったであろう職場へ、

ただ嗤うために、ただ店に打撃を与えるために、

悪意に満ちた言葉を撒き散らすとは、当時の想像の範疇を超えていたのだ。

 

『今』の感覚から見ると、

なんだ、そんなことか。

そのくらい、普通にあるよね。

だろう。

 

だが。それって。その感覚って。

おかしくはないだろうか。

 

前置きがものすごく長くなってしまった。

歴史に残る、必見の傑作アニメ映画『サマーウォーズ』の話がしたいのだった。

 

何度も見れる、観たくなるのは、

あれだけのテーマを詰めこみながら、クライマックスに収束する脚本の素晴らしさをまず挙げたいのだが、

人物の多彩さ、それぞれのユニークさ、その人間関係のドラマ、キャラクターの魅力、もさることながらにして、

『田舎』であったこと、『家族』であったこと、キャッチコピーにもあったが、『つながり』をしっかりと描いたこともやはり付け加えなくてはならず、

アバター』を誰もが持っているというユニークな世界観を『田舎』を舞台にしながら違和感なく溶けこませたその手腕も賛辞に値する……

と、

つまり、誰の視点で観るか、どこの演出に注目するか、と見所が満載すぎるうえに、気軽に楽しめる『映画』でもあるからなのだが、

 

何よりも。

 

あの、花札のシーン。

(もう、無理だ…もう、駄目なんだ…)

力も心も折れかけた、そのときに、灯る一燈。

そして続く、光の波濤。

神のはからい、天佑、奇蹟。としか思えないあの瞬間が、しかし、人によるものであること。

“ 賛 ”の意志であったこと。

 

サマーウォーズ』が事あるごとに見返され、歴史に残り、人の口をついて、『めっちゃいいよ!』と伝わっていく。

そのこと自体が、まるで、あの花札のシーンのようだ。

その匿名、変名、偽名のつながりの中に“ 燦 ”と灯るもの。そのわずかな光のつらなり。

 

批判や嘲笑。 

誹謗や中傷。

 

見えないところで渦を巻く、

見えない悪意にさらされ、押し潰され、

低く低く、己の価値を貶め、卑しめなければ生きていけない、

そんな世界。

 

そんな世界さ、当たり前。

 

に、どうか、負けないように。

祈るような想いを胸に、『サマーウォーズ』を観る。

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この夏、公開ですね。堂々と王道貫く気概にあふれた監督のコメント。

どんな作品なんだろう!?

 

 


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