『 その眼はどこか遠くを見ている アルスラーン戦記と天野喜孝 』
おおお、そうきたか…
と、想像もしていなかった組み合わせに驚いた。
おそらく、ヒットするであろう。ヒットして欲しい。ヒットしているんだろうか。
(10巻くらい一気読みしようとまだ楽しみにとっておいております)
『鋼の錬金術師』は傑作だった。少年漫画の括りの中で、あれだけのテーマと真っ向から対峙し、決着をつけたその偉業は、
「読んでないの!? もったいないよ!」
の声とともに長く語り継がれることだろう。
その荒川弘が手がけるのだから、『アルスラーン戦記』、見応えあるものとなるに違いない。
違いないのだが。
小説版とはまったく別物となるだろう。
なぜか。
『絵』である。
当然のことであるが、『アルスラーン戦記』は、まず、あの天野喜孝の『絵』があっての『アルスラーン戦記』であるからだ。
主人公は、14歳の、何のとりえもない少年である。
王の息子という立場ではあり、敬意も払われてはいるが、『豪』の王である父の前ではただの血縁上の一存在でしかない。
美貌を誇る母はしかし冷たく、心を閉ざし、息子に愛情らしい愛情を示さない。
それでも健気に彼は、自分の運命を享受し、『王子』として、『私』の立場に立って、できる限りのことをしようとする。
物語は、負けるはずのない戦にまさかの敗走を強いられることから始まる。
付き従うのは、『最強』の『黒衣の騎士』ダリューン。
誇り高き戦士にして、忠実、献身の高潔さも併せ持つ彼は、信頼する叔父から、『アルスラーン殿下』を守ってくれ、と頼まれる。
一抹の不安と疑念を抱きながらも、ダリューンはその約束を守らんと、放逐されたかつての盟友、天才軍師のナルサスを頼る。
どうやら、この敗戦には何か裏がある。
祖国パルスを救うため、アルスラーン、ダリューン、ナルサスは動き始める……
というのが、ざっと序盤のあらすじなのだが、
その後登場する、希代の弓師にして吟遊詩人、女たらしのギーヴ、
精霊の声とともにある『絶世』の美女ファランギース、
アルスラーンとともに道を同じくせんとする『仲間たち』が、まあ、とにかく、もう、魅力的なのだ。
その掛け合いを読んでいるだけで、にやっとしてしまう。
さもありなん、と納得した。
そう、ダリューンはあの眼をする男だ。
アルスラーンはどうか。あの健気さ、真面目さ、それゆえの切なさ。
ギーヴのあの軽薄にして誠実な、女ったらしっぷり。
難しいのはファランギースだ。何せ、『絶世』の美貌だ。精霊たちと話したりもする。
しかも毒舌家だ。幽冥の者にして、女戦士。
そして、あの空気感。
馴れ合いの『仲間』ではない。
誰もがひとりひとり、しっかりと己を持って、行動をともにする、あの連帯感。
その中で、ひとり『己』を確と持たぬがゆえに、どうあるべきか己と対話し続ける少年王子の物語、『アルスラーン戦記』
荒川弘の絵は魅力的だ。
親しみやすく、すんなり感情移入できる。新しく生まれ変わるギーヴ、ファランギースがどう動くのか、魅せてくれるのか、楽しみだ。
だが、天野版アルスラーンの人物の、あの得体の知れなさ。
『大人感』『異国感』
『アルスラーン戦記』は少年少女が読むものである。(実年齢ではなくて)
荒川版はダリューンやナルサスを『近しい友』として感じられそうである。
『絶世』の美貌である。
精霊の声を聞くことなど日常であろうと推測できる。
まったくもって、近寄りがたい。しかし、惹かれる。惹かれずにはいられない。
天野喜孝の描くアルスラーン戦記の人物たちは、皆、一種近寄りがたい『大人』の雰囲気を漂わせている。
戦場を、馬を駆って走り抜ける、血の匂いがする。
そこで少年少女が抱くのは、『憧れ』だ。
天野喜孝の描く人物の、眼。
あの眼はどこか遠くを見ている。まったく違う世界を見ている。
荒川版アルスラーン戦記がどう演出されるのか、アニメがどうなるか、これからがとても楽しみである。
だが、まだ未読の方は、イラストレーション / 天野喜孝 の『小説・アルスラーン戦記』を手にとって読んでみて欲しい。
(読み比べも楽しいだろうな)
アルスラーンの決意も、ヒルメスの憤怒も、エラムの忠義も、アルフリードの気風のよさも、アンドラゴラスの深い業も、タハミーネの哀しみも、ささやかなるあの恋の行方も、蛇王のおどろおどろしさも、
彩り豊かな絵巻として、脳内に展開されることと思う。
アルスラーン戦記 [コミック/画:荒川弘] コミック 1-4巻セット (講談社コミックス)
- 作者: 荒川弘
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/10/09
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