『サヨナラのかわりに踊ってみるよ』
若い頃、こどものお遊戯だとか拙い発表会だとか、親バカ全開の、誰がこれ観て楽しいの?
という映像に、やれやれ…という感慨を抱いていた。
いっしょけんめいなのはわかる。
可愛いってのも、わかる。
でも、ねえ…
今日、突然、彼らは、
『踊る』
と言い出した。
別れの日。
“練習してきたから、見て”
と、恥じることもなく、気負うこともなく、
ちょっと照れながら、ダンスを踊ってみせてくれた。
胸が熱くなってしまった。
いっしょけんめいだった。
拙かった。
もちろん、かわいかった。
それでも、何より、胸にぐっときてしまったのは、お別れとお礼のかわりにダンスを選び、一所懸命、練習していたということ。
切れ味も鋭かった。最後の決めのポーズも決まった。
たかだか7歳。されど7歳。
とてもかっこよかった。
誉められたいわけでもなく、精一杯にカッコつけて踊る姿、素敵だった。
稀有なギフトをいただいた日となった。
若いころ、音楽に目覚め、たくさんのバンドの『ライブ』というものを観に行きはじめた。
その中でも、ベストアクト!このライブは凄かった…!!!ってある?
と聞かれたら、すぐに答えることができる。
『イースタンユース!』
新宿リキッドルームがコマ劇場近くにあったころ。
『夏の日の午後』『青すぎる空』が浸透しはじめたころ。
ライブを観に行った。
当時のイースタンユース、特にボーカルギター吉野氏のモードだと思うが、
おっそろしく殺気立っていた。
熱量がおっそろしく高かった。
客にも、『えっ、吉野さん!?』と見紛うばかりの、坊主頭に黒縁めがねの、好きでしょうがない、好きを通り越して一体化せずにはいられない若者たちがたくさんいた。
圧倒的なテンションと、会場が燃えるような『ライブ』の感覚を、今も忘れずにいる。
その後も、素晴らしいライブや、ミュージシャン、たくさん経験したが、
凄かったライブ。
凄かった、という言葉がつくと、イースタンユースを思い出す。
よく『全力で』とか『全力投球』とか、やる気を表す言葉があるが、
イースタンユースのライブ経験後には、その『全力』と『全力投球』の意味合い、重さが大きく変わる。
『神』を頼ることなく、
自分自身と、身の回りの、路上の感覚を常に失わず、
ただひたすらに、全力で生きることを全力で歌う。全力で鳴らす。歌い続け、鳴らし続けている。
ベース氏脱退。2人体制になったとき、イースタンユースはどうなるのか?
それは2人になったときのこと。今もこれからもまだ進行し変化し続けるのだろう。
世界の底、街の底から、
拙さも不器用さもひっくるめた、
全力で生きることで生まれる歌を音楽をぶっ放し続けるのだろう。