『もっとも美しく哀しい復讐者が辿り着く、白』
許すことができない。
憎しみ、怒り。
目には目を。それだけでは足りない。
腹の底でとぐろを巻き、うねる熱さと重さを持った、怒り憎しみ、ないまぜになった、
その感情。
それは許されることではない。
人は言う。神も言う。
『許せ』と言う。
それでも、自分だけは、そのことを、許せない。
誰が何と言おうと、許せない。
そんな夜には、復讐映画。
哀しい、血にまみれた、復讐の物語を。
(以下、ネタバレあり。
" 血 " をイメージするのも苦手。という方は以下読まないほうがよろしい)
我が子を人質にとられ、殺人鬼の罪をかぶり、服役することになった女。
13年の時を経て、はじまる復讐…
娘とまた暮らしたい、という切実な想い。
そのためにだったら、なんでもする。
文字通り、彼女は、なんでもする。
なんといっても、この映画のもっとも凄まじい場面は、
日本版の題名にもなっている『親切なクムジャさん』の " 親切 " が炸裂する、
クライマックスだ。
善良な市民の仮面をかぶり、裏で許されぬ非道な行いを繰り返し続けていた、
野獣のごとき心を持つ、殺人者。
愛する我が子を奪われた被害者たちは、1人や2人ではなかった。
親切なクムジャさんは、皆に呼びかける。
みんなでやりましょう。
殺人鬼にくだされる、鉄槌。
誰も来ない廃屋で、被害者の会の面々が、
順々に、延々と、おのおのの凶器を用い、その怨みをぶつけてゆく。
身動きひとつ取れない状態にした殺人鬼を。
刺し、貫き、簡単には終わらせないよう、あとに残る人たちのことも考えて、それでも、その積もりに積もった恨みを晴らすべく、苦しみを少しでも多く与えられるよう、傷つけてゆく。
凄まじい。
どぎつい。えぐい。えげつない。
そこまで描写するかと思わず眼を背けてしまいそうになる。
そうされても仕方がない、 " 獣 " なのだから。とわかっていても、もう早く終わらせてやれ…と慈悲の心さえ芽生えてくる。
それでも、延々と、完遂に至るまで、親切なクムジャさんをガイドに、狂気の復讐の儀式は続く。
すべてが終わったあとの、虚無感。
悪い奴はこれでいなくなった。裁きのときは終わったのだ。という達成感も、カタルシスも、ない。
ひどい脱力、寂寞。
復讐を果たしたところで、失われたものは戻らない。
そこまで描くか、と、その激しさ、どぎつい描写で知られる韓国映画ではあるが、
『親切なクムジャさん』、きちんと計算の上に成り立っている。
可愛いのか可愛くないのか、よくわからない微妙なところの、クムジャさんの娘。
こいつは許せるはずがない、と感じさせる殺人鬼。
最後の審判をくだす、被害者の面々の、ごくごく普通な市民感。
計算して作ってあるから、安心して見ることができる。
復讐の是非を観客に問う、倫理の映画でもない。
映画になりやすい『復讐』モチーフを、技術で作品にしてみた、鼻につくインテリジェンスひけらかし映画でもない。
真に迫る。
ああ、凄い映画を観たな…
エンドロールが流れ、やっと緊張がとけ、息をつく。
ハッピーエンドではない。バッドエンドでもない。
復讐は完遂された。
しかし、失われたときは戻らず、その手を、生涯消えぬ血の色で染めてしまった事実は、この先、消えることがないだろう。
それでも、彼女には、愛すべき愛娘がいるのだ……
はぁ……
観終わったあとのため息。
観きるには、体力も精神力も必要とする。
しかし、観終わったあとには、
許せないあの想い、現実のあの感情、
" 目には目を " 、いやそれ以上の仕打ちを、
と考えていたことが、若干、変質しているだろうと思う。
ラストが、やっぱり、いい。
哀しさと、滑稽さと。
胸倉ふっと掴まれて、放り投げられるように、心もわずかに軽くなる。