SOUL EAT!!!

ぐるぐる回る 風の時代がやってくる

『もっとも美しく哀しい復讐者が辿り着く、白』

 

許すことができない。

 

憎しみ、怒り。

 

目には目を。それだけでは足りない。

腹の底でとぐろを巻き、うねる熱さと重さを持った、怒り憎しみ、ないまぜになった、

その感情。

 

それは許されることではない。

 

人は言う。神も言う。

『許せ』と言う。

 

それでも、自分だけは、そのことを、許せない。

誰が何と言おうと、許せない。

 

そんな夜には、復讐映画。

哀しい、血にまみれた、復讐の物語を。

ati 145) 韓国映画チラシ [ 親切なクムジャさん]イ・ヨンエ、パク・チャヌク監督

 (以下、ネタバレあり

" 血 " をイメージするのも苦手。という方は以下読まないほうがよろしい)

 

 

 

我が子を人質にとられ、殺人鬼の罪をかぶり、服役することになった女。

13年の時を経て、はじまる復讐…

 

娘とまた暮らしたい、という切実な想い。

そのためにだったら、なんでもする。

文字通り、彼女は、なんでもする。

 

なんといっても、この映画のもっとも凄まじい場面は、

日本版の題名にもなっている『親切なクムジャさん』の " 親切 " が炸裂する、

クライマックスだ。

 

善良な市民の仮面をかぶり、裏で許されぬ非道な行いを繰り返し続けていた、

野獣のごとき心を持つ、殺人者。

愛する我が子を奪われた被害者たちは、1人や2人ではなかった。

親切なクムジャさんは、皆に呼びかける。

 

みんなでやりましょう。

 

殺人鬼にくだされる、鉄槌。

誰も来ない廃屋で、被害者の会の面々が、

順々に、延々と、おのおのの凶器を用い、その怨みをぶつけてゆく。

身動きひとつ取れない状態にした殺人鬼を。

 

刺し、貫き、簡単には終わらせないよう、あとに残る人たちのことも考えて、それでも、その積もりに積もった恨みを晴らすべく、苦しみを少しでも多く与えられるよう、傷つけてゆく。

凄まじい。

 

どぎつい。えぐい。えげつない。

そこまで描写するかと思わず眼を背けてしまいそうになる。

 

そうされても仕方がない、 " 獣 " なのだから。とわかっていても、もう早く終わらせてやれ…と慈悲の心さえ芽生えてくる。

それでも、延々と、完遂に至るまで、親切なクムジャさんをガイドに、狂気の復讐の儀式は続く。

 

すべてが終わったあとの、虚無感。

悪い奴はこれでいなくなった。裁きのときは終わったのだ。という達成感も、カタルシスも、ない。

ひどい脱力、寂寞。

 

復讐を果たしたところで、失われたものは戻らない。 

 

 

そこまで描くか、と、その激しさ、どぎつい描写で知られる韓国映画ではあるが、

親切なクムジャさん』、きちんと計算の上に成り立っている。

 

可愛いのか可愛くないのか、よくわからない微妙なところの、クムジャさんの娘。

こいつは許せるはずがない、と感じさせる殺人鬼。

最後の審判をくだす、被害者の面々の、ごくごく普通な市民感。

 

計算して作ってあるから、安心して見ることができる。

 

復讐の是非を観客に問う、倫理の映画でもない。

映画になりやすい『復讐』モチーフを、技術で作品にしてみた、鼻につくインテリジェンスひけらかし映画でもない。

 

真に迫る。

 

ああ、凄い映画を観たな…

エンドロールが流れ、やっと緊張がとけ、息をつく。

 

ハッピーエンドではない。バッドエンドでもない。

 

復讐は完遂された。

しかし、失われたときは戻らず、その手を、生涯消えぬ血の色で染めてしまった事実は、この先、消えることがないだろう。

それでも、彼女には、愛すべき愛娘がいるのだ……

 

 

はぁ……

 

 

 

観終わったあとのため息。

観きるには、体力も精神力も必要とする。

 

しかし、観終わったあとには、

許せないあの想い、現実のあの感情、

" 目には目を " 、いやそれ以上の仕打ちを、

と考えていたことが、若干、変質しているだろうと思う。

 

ラストが、やっぱり、いい。

哀しさと、滑稽さと。

胸倉ふっと掴まれて、放り投げられるように、心もわずかに軽くなる。