『紅蓮に身を染めてまで、守るべきものがあるというのか / " ベルセルク " 』
前回に引き続き、『ベルセルク』の話である。
壮大なプロローグであった、" 白と黒 " 司る2人の友情を描いたあの時代が、好きである。
彼はそれまで、たったひとりであり、誰を信じることもなく、ただ己の力のみを頼りに生きてきたのである。
それが、生きる目的を得た。
己の居場所を見つけることができた。
親友と、仲間と、恋人と、
" そんなものはこの先手に入ることはないし、そんな夢を見ている暇などない "
と野良犬のような眼をして生きてきた男が得た、束の間の、幸福のとき。
それが、まさか……
と、物語は、絶望と悲嘆と憤怒に彩られた、未曾有のハイパーファンタジーとして真の幕を明けるのだが、その後、なぜ彼が戦うことを選んだのか?と、それは、その夢のような時代が本物であったがゆえである。
あの頃はよかった。
青春時代ってそんなもの。
年を経て、まぶしい眼をして思い出す、あの頃。
今は今の生活があり、『あの頃はよかったね』あるいは『こどもだったね』と思い出す。
いろいろあったけど、もう済んだことだし、許せなかったことも今ではもう笑い話。
どうして、あのとき、あんなに悩んでいたんだろう?
そうして過去は風化し美化され改ざんされ、忘れ去られてゆく。
自分のあやまちも失敗も、たいしたことではなかったと許せる。
誰かのあやまちも失敗も、たいしたことではなかったと許せる。
だが、彼は、許さない。許せない。
あの時が、
本当に、
素晴らしい時間だったから。
生涯忘れることのない、
黄金の日々、
夢のような現実、
心の底で、真底、
望んでいた祝福の時だったから。
だから、彼は、許せない。
楽園を踏みにじり、穢した者を、許すわけにはいかない。
彼の心の中には、血の涙流し、非力であろうと剣を取り、【敵】に立ち向かおうとする少年がいる。
しかし、現実は厳しい。重い。
少年の純粋さだけでは、勝つことはおろか太刀打ちできるかも怪しく、抱える物は重過ぎる。
許せない想いをぶつけようにも、蟻の一噛みが象に与える痛みなど、タカが知れているのだ。
あの頃はよかった。
でも、今は今の生活があって、時代がこんなんだから、まあ、それはそれ。しょうがないよ。
否。否。否。
彼は認めようとはせず、
奴を許さない、
こいつを救う。
と、大人にならずにいる。
少年の怒り抱えたまま、【父】である責任さえ引き受け、死地へ赴く。
今更、強調するまでもないが、『ベルセルク』の主人公はガッツである。
胸に " 白 " 抱き、護るためなら、と傷も痛みも厭わぬ覚悟を決めた男の苦難の旅路が本筋である。
今更、強調するまでもないが、凄まじい物語である。
紅蓮に身を染めてまで、何を守ろうというのか。
焔の核には、あの黄金時代がある。