『インヘルノとよびし地獄、現れたり』
16歳の駿介が、夏、耳にしたひとつの言葉。
愛刀家の父が持つ「次吉」の手入れに1年に1度現れる、若い刀研師・泰邦。
彼の言葉を聞いた、最後の時。
“ 彼は、少し苦しいと言い、苦しいことはおれは好きだ、と言った。 ”
香りを愛し、香りにも愛されていたであろう、美しい母と泰邦。
秘められた恋。
泰邦であれば。許せる。
そんな風に思っていた。
それなのに。
そのとき、泰邦は、いてはならない場所にいた。
ともにいるべきでない者といた。
あってはならない行為の最中にあった。
少し苦しい、と言い、そして、そのあとは何と言っていたか。
確かめる術はなくなった。
翌日の午後、泰邦は「次吉」で死んだ。
そして、母は、泰邦の死を知り、「次吉」を胸に突き立て、命を絶った。
そして、2人の死を知った父もまた「次吉」で腹を割いて果てた。
痴情沙汰として世間的には決着を見た惨劇は、残された3兄弟の人生を大きく変えた。
狂わせた。
10年のときを経て、再び出会う兄弟たち。
「次吉」だけが知る真実。
“ 彼は少し苦しいと言い、”
そして、何と言っていた?
すべての真相を知り、「次吉」によってすべてを終わらせる駿介。
“ 信じていてよかった ”
夏の日の午後に起きた不可解な惨劇は、冬の雪景色の中、清冽に、安らかに、真の終わりを迎える。
赤江瀑作品は、恋の物語であると思う。
倦怠と憎悪と失望に変わる、生活感に根ざした恋ではなく、
生涯に1度の恋。
哀しく、狂おしい、ただ1度の恋。
どうしようもなく引き合い、果ては煉獄と知りつつも進まずにはいられない、理性の箍を捨てた恋。
ロマンチックに胸をときめかせるだけでは終わることができず、裡なる魔や闇を目覚めさせてしまう、文字通りすべてを賭けた恋。
ゆえに、異形の花が咲く。
この世ならぬ、美しい花が咲く。
比較的、こっちのほうが入手しやすいかと。
↑角川文庫版の装丁は横尾忠則。クール。