『ミッシェル・ガン・エレファントという奇跡について語る その13 4th アルバム " ギヤ・ブルーズ " 』
戦闘態勢に入ったことは一目瞭然。
のジャケットもクールな、
4thアルバム『ギヤ・ブルーズ』
『G.W.D』
『アウトブルーズ』
『スモーキンビリー』
ときて、期待も高まりに高まったところで発表された4枚目。
その当時、このアルバムの衝撃ったら、なかった。
個人的体感の話だけでない。
世の中とミッシェルが、歯車噛み合うように、
がっちり嵌まった
のは、このアルバムが出たときだと思う。
退屈も悲愴も、夜に潜むものも、全部まとめて渦巻かせてやると漲る気迫。
90年代の終わりにあった、くろぐろとしたわだかまり。
そんな不穏がぴりぴりと、よくわからぬ曇天が頭上を覆っているようなとき、
切実に悲しみを鳴らすわけでもなく、
時代がおかしいと警鐘を鳴らすわけでもなく、
アレもコレもぶちこんで、叩きこんで、渦巻かせてやる。
と、音楽に、ロックにしてみせた4thアルバム、『ギヤ・ブルーズ』
個人的にはミッシェルのアルバムで一番好きで、ジャンル問わず「好きなアルバムは?」と聞かれたら、ぱっと浮かぶ 一枚でもある。
これからミッシェル聴こうという人にも「だったらギヤ・ブルーズがいいよ」と推したい一枚でもある。
時は進もうと、相も変わらず、悲愴も退屈も、路上に潜む悪意も、
うんざりやげんなりの溜め息も、青白い半死の空気も、
現としてある。そこかしこにある。
そんな中、
「じゃあ、どう生きようか?」との Q に、
A. ギヤ・ブルーズを聴け。
A.ごちゃごちゃ言わんと踊ってろ。
との明快な答えを示す、時代を超えた名盤でもある。
アルバム初っ端の一音から、起動、回転し始めるギヤ。
唸りあげ、うねる、ヘヴィかつラウドな音。
腰から下で動き出し、気付けば身体は踊り始めている。狂気のダンスを踊り始めている。
はたから見ればその様は、まるで呪術的トランス状態に陥った危ない人。
でもしょうがない。そんな音だ。踊らずにはいられず、叫ばずにはいられなくなる音楽だ。
内側よりこみ上げてくる、言葉以前の何か。
叫び、ぶっ放したくなる衝動。
飛び散る汗、振り乱される髪、突き上げる拳。
その時代が象徴した「不穏」「黒さ」は底の方に潜っただけで、消えることはなく、
そこに囚われ、あるいは見据えている人は、今もこれからも存在する。
だから、今聴いても新しい。
というか、曲のよさは時代の流行うんぬんで語ることも野暮な、普遍の生命感を宿している。
アルバムラスト『ダニー・ゴー』
どろどろに燃え滾って、踊り狂ったその先には何が、と。
明るくて、切なくて、なんなんだこの感情は。
踊り疲れて、もう憑き物も落ちたかと思われるとき、最後の最後に放たれる
『ダニー・ゴー』
走るしかないじゃないか。
その先が崖だろうが、海の底へと真っ逆さまだろうが、走り続けるんだよ。
おそろしい勢いで、その身、その足を使い、しゃかりきになって走るんだよ。
そんなことは一言も言っていないが、曲を聴いて、走りたくならない人はいないと思う。
楽しいんだか、悲しいんだか、解放されたんだか、わからない。
でも走るんだよ。走り続けるんだよ。
がちっと嵌まったギヤ、回転してる。動き続けてる。
噛み合ったギヤは唸る、うねる。エネルギーを生む。
さあ、どうする?
アタマが決めるんじゃない。身体が動くんだ。
その先はどこへ?って知らないよ。
身体が勝手に動くんだ。
全14曲。
どれもほんとに名曲ばかり。