『ミッシェル・ガン・エレファントという奇跡について語る その15 西の終わりのその先の " カサノバ・スネイク " 』
今まで出会うことのなかった、言葉と言葉が出会うとき。
響き合って、絡みあって、新しい何かが生まれる。誕生する。
もしくは、" それ " はもうどこかにあって、" それ " を表すんなら、" これ " と " これ " 、2つの単語を組み合わせてみる。
名を与える。
言葉が先か、存在が先か。
どっちなんだろ、" カサノバ・スネイク "
1曲目 " デッド・スター・エンド "
開始3秒で、つまりカサノバ・スネイクとはどんなアルバムなのか。
曲タイトルで、つまりカサノバ・スネイクとは何を描こうとしているのか。
わかったような気がする。腑に落ちる。
そして、踊りたくなる。踊ってる。
前作 " ギヤ・ブルーズ " の後である。
ダニーが駆け抜けた先はどこなのか、と。
続いてくのはどこなんだ、と。
次に見せてくれる景色は、と。
期待に声援に集まり続ける注目に答える、次のミッシェルは、と。
開始3秒。納得の。
イントロからもうウズウズ。どんなメロディ、どんな言葉が飛びこんでくるのか、と。
“ 俺の星には何もないけど ”
“ あの娘がいれば ”
“ 宇宙の果てまでぶっとんでゆける ”
つまり、そういうことだ、と。
明確。
そして " コブラ "、 " ヤング・ジャガー " と、獣が二匹。
" プラズマ・ダイブ " の叫びときたら、もはや首狩り族だ。
そこで " リボルバー・ジャンキーズ " なんて、明るく突き抜ける爽快な1曲がやってくる。でも “ 今日の風は俺に泣いてるのだろうか ” なんて、空を見上げてる。
それでも速度は緩められることはなく、" ダスト・バニー・ライド・オン "
そして、" 裸の太陽 " がやって来る。
このアルバムの肝であると思われる。
西の終わりのその先を見出す1曲である。そこはどこかって、それはもう聴いたほうがいいですよ。
この時点で、もう、
「またすげえアルバムだな…!」
と感動してしまうのだが、またしても。
ラスト、" ドロップ "
この感情は、なんだ。