その1 『真・デビルマン』
十歳のとき、『デビルマン』と出会った。
青くて不気味なその怪人風のヒーローには、愛と正義の味方とは思えない妖しい魅力があった。
当時はひと昔前のアニメを夕方に再放送していて、僕らはそのレトロな感覚を面白がっていた。少年ジャンプが最盛期を迎えようとしている頃だ。
ある日、本屋で『小説』の『デビルマン』と出会った。
緑の背表紙のソノラマ文庫。
アニメとは一味違うその表紙の絵に惹かれた。
さえない高校生、明のもとにやってくる親友・飛鳥了。突然の再会。
『悪魔の侵攻が始まっている』
『人類を守るために俺と一緒に命を賭けてくれないか』
おまえの頼みなら、とすべてを捨てる覚悟を決める明。
この時点で、もう、アニメ版とは趣きが違う。
今回の敵はどんな化け物なんだろう?来週はどんな危機が訪れるのだろう?
というワクワク感は、『次』があるのを前提としている。最終回までそのフォーマットは変わらない。
だが、アニメ版ではない、本家の漫画をベースにした『小説版』は、初っ端から悲壮感を漂わせ、ただならぬ覚悟を滲ませていた。
『次』はないのだ。
一度負ければ、死ぬだけ。死んでしまえば、人類もまた滅びる。それだけの覚悟を持って、明は悪魔の力を手に入れる。
対する敵にも言い分がある。この星はわれらの物である。眠っている間に我が物顔でのさばりはじめた邪魔者は消す。当然の理だろう?
こども心に、『これは、何か、違う…』と感じていた。
悪い奴らは徹底的に悪く、倒されなければならない。
『わたしたち』の中にそんなものはない。あってはならない。
いじめはいけない。差別はいけない。
みんな仲良く。友情が一番大事。
お父さんとお母さんにありがとう。
笑顔で無邪気で。
正しく、清く、美しく。
周りの大人たちが嘘くさく感じられて、話せる友達もおらず、うまく言葉に言い表すこともできなかった幼い頃。
思春期の入り口に立った人見知りの少年にとって、小説『真・デビルマン』第三巻の衝撃は決定的だった。
目の前で世界が切り裂かれた。
これが本当の世界なんだと思った。
後に漫画版を読み、展開がわかっていながらも戦慄したが、十歳の少年が活字から得た体感。
それはまさに生涯初の感動だった。
居場所がないこと、話せる相手がいないこと、孤独であること、なじめない感覚を、そのとき、はじめて肯定してもらえた。
その凄惨な『現実』の描写に勇気をもらったのだ。
一回観て、ぽい。
一回聴いて、ぽい。
読み流して、ぽい。
としたくない、誰かに語りたくなるような、素晴らしい作品と出会えますように。
新しい世界が開けますように。
お役に立てたら、嬉しい。