『 豹頭の王が統べる世を / " グイン・サーガ " 』
ラストシーンはわかっていた。
" 豹頭王の花嫁 " が誰なのかはわからずとも、その祝福された婚姻、そして来たる
" 黄金の時代 " を予感させての、盛大なるフィナーレ、迫る感動の嵐と滂沱の涙、
「めでたしめでたし」の終幕は想像することができた。
未完。という気が全然しない。
全100巻のはずが、100巻では収まりきらず、まだまだ続く、延々続く、
しかし、それこそ、物語のあらまほしき姿。
『終』『完』『fin』
その文字が見たくない。
ずっと読み続けていたい。
終わらなくていいから、ずっと続いていて欲しい。
そう思っていた。
新刊の表紙も楽しみだった。
今回は誰なのか、どんな絵なのか、楽しみにしていた。
今もグイン・サーガの世界は栗本薫なきあとも書き綴られてはいるが、"完"の一文字が記されることは、この先ないだろう。
それは栗本薫にのみ許された仕事だ。
だから、グイン・サーガは未完のままだ。
予定されていた最終巻 " 豹頭王の花嫁 " は謎のままだ。
だが、未完という気がなんだかしない。
きっとそれは、その大団円を、その感覚を知っているからだ。
あのグインが真の王になる。
あの世界を統べる王となる。
その黄金の治世のはじまり。
誰もが想像できなかった、しかし、誰もが望んでいた時代の到来。
まったく新しい、しかし、懐かしい、その感覚。
確かに知っている。
グインという豹頭の男は、出会う者たちにそんな期待を抱かせる。
誰もが彼を"王"だとわかる。
強くて、優しくて、頼りがいがあって。
"王の器"とは彼のような人物のことを言うのだろう。
栗本薫の手によるグイン・サーガの 正史は、その続きを読むことができなくなった。
しかし、我々は知っている。
グインはあの世界の真の王となり、黄金の治世を敷いたであろうということを。
脇役。というには魅力的すぎる人物たちの躍動。
絡み合い。
宇宙の律と異世界の創造とを描き、綺麗事ではない人の性を業を描き、国の興亡、それぞれの文化を描き、多彩な人物たちが絢爛と踊る、そんな傑作『グイン・サーガ』
「100巻もあるの…」
とその長大さにげんなりする方は読まぬがよろしい。
「100巻以上あるの!」
と心浮き立つ方は、もう手にしていることだろう。
終わらない物語を読みたい人は必ず手にとっているはずだ。
だって、そんな物語、古今東西探してもグイン・サーガをおいて他に、見つからないのだから。
未完であるからといって、終わりは来ないかも知れないからといって、評価ができぬ作品ではない。希代の傑作である。
グイン・サーガのテーマでもある" 時の流れ "
少女は淑女となり、夢見る少年は悪に身を堕とし、美貌の天才はその身を削り、出会い、別れ、出会い、別れする、そして年を重ねてゆく、" 時の流れ "
その時のうねりに翻弄されながら生きてゆく、死んでゆく登場人物たち。
その時のうねりの真ん中で、人間の悩み苦しみ抱えながらも燦然と輝く、豹頭の男。
ラストシーンはわかっていた。
そんな悲しみも痛みも歓びも、すべては小さく愚かしく輝かしい、人の為せる業。
すべて見つめ、受け入れる、豹頭の王。その隣には花嫁。
光の雨が降り注ぐ、祝福のシーン。
未完であっても、ラストシーンは想像できても、あの、" 読む喜び " が損なわれることはない。
最初の5巻、10巻。つまづく人の気持ちもわかる。わかるが、そこから先。
そこから先…!
スカールとナリス。
この2人の登場で、もう、読むのを途中でやめることができなかった。