『黒い焔も透明なれば。哀しみのダンピール" D "の旅に終わりは来るのか 』
吸血鬼が好きだ。
『吸血鬼』と聞くと血が騒ぐ。『ヴァンパイア』の文字を見ると、つい立ち止まってしまう。
『怪物』『異形』『モンスター』『化物』の言葉にも、ぴんと無意識が反応してしまうのだが、その中でも、『吸血鬼』は特別である。
なぜだろう。
彼らには『誇り』がある。高貴な『美学』がある。
卑しくて貧しい心根を持った吸血鬼を、吸血鬼とは呼ばない。
卑しくて貧しい心を持った人間を餌としないところにも、やはり独特のこだわりとセンスを感じさせる。
不死の身をもつが、弱点を持つ。
陽光と大蒜と銀の十字架と。
最近では、大蒜も銀の十字架も平気な吸血鬼が増えていると思う。
しかし、相変わらず、日光は苦手である。
乱杭歯である。
血を吸うのである。
杭のような歯、牙を持たぬものを吸血鬼とは呼ばない。
『血』にはこだわる。
『美味』『不美味』のテイスティングにはうるさい。
誰彼かまわず襲わない。
彼らは精神異常者でもなければ、殺したくてたまらない、暴れなくては気がすまない、鬱屈した精神とは無縁なのだ。
カッとなって、ついやっちまった…
などという過ちはけっして冒さない。
彼らには『知性』があるのだ。
唯一、血の渇きにだけは耐えられない。よい品種の血を渇望するその心持ちは、まさに『狂おしいほど』であり、やむを得ず手ごろな血でその欲求を満たしてしまったときなどは、激しく後悔する。しかし、そんなことはすぐ忘れる。
ウジウジ。くよくよ。
という言葉は彼らの中にない。
彼らは『貴族』である。
自分たちが一番だと思っている。信じて疑わずにいる。
己の出自をけっして卑下したりしない。
かしづかれるのが当然とわきまえている。
誰かの下につく、という発想がそもそもない。
しかし吸血鬼界のヒエラルキーには従う。
しかし必要以上にへりくだったりはしない。
やはりどこまでも『高貴』、『誇り』を持つのである。
そして、やはり、『夜に棲むもの』である。
僕の『吸血鬼』の定義はこんな感じである。異論、補足のご意見は多々あろうが、まあ、そこは。
ここ最近の素晴らしかった吸血鬼ものといえば、やはり『ぼくのエリ』であろう。
『30デイズナイト』の吸血鬼も素晴らしかった。レコードのシーンには、「おお…!こんな魅せ方があったか…!」の驚き。ラストシーンのあの滅びのイメージも素敵だった。
『スペースバンパイア』も必見の傑作である。
ここ最近の大ヒット吸血鬼ものといえば、『トワイライト』
しかし、まだ観ていない。観ていないが、恋の匂いがする。
吸血鬼には恋が似合う。
大ヒットするのもうなずける。観てはいないがよくわかる。
吸血鬼には色気がある。官能の匂いがある。恋物語がヒットするのは至極当然なことである。
というわけで、恋をするならバンパイア。
その中でも、とりわけ恋をするに値する、
心奪われ、血も吸われてもいい、
その魅力に満ち満ち、溢れに溢れた、最高の吸血鬼がいる。
“D”である。
正確には、吸血鬼というより、“ダンピール”、人間との混血なのだが、その“ダンピール”であることが、まず“D”を語るうえではずせない。
吸血鬼と人間の混血。
その彼の生業は、“吸血鬼ハンター”。
もう、存在が呪われている。
彼に友と呼ぶべき者はいない。
『敵』となるもの、『依頼人』となるもの、それしかない。
『左手の老人』も、“D”を助けることはあっても、ただの旅の道連れ、見届ける者でしかない。
非情。
そして、美しい。
その場に存在するすべてのものが心ときめかせるほどに、美しい。
死せる者すら、彼の訪れに、再び生の焔を煌かせてしまうほどに、美しい。
荒廃した『辺境』の町をゆく、孤高にして美貌の剣士、“D”
砂塵舞う、見捨てられた地を、彼は、ひとり、行く。
町から町へ。村から村へ。
吸血鬼は必ず、狩る。
受けた依頼は必ず、果たす。
近未来を舞台にし、吸血鬼を描き、『西部劇の凄腕』をモチーフとした連作。
老いも若きも、男も女も、魅了する、魔界の男 " D "
さすらい続けるDの旅に終わりは来るのか。
最後の最後、彼はやっぱり微笑むのだろうか。
『人間』でしかない『吸血鬼』の、至上の笑みを、見せてくれるだろうか。
個人的には、『移動する街』を舞台にした『死街譚』が好きです。
『魔界に棲むもの。その絶世の美貌』 - SOUL EAT!!!